身一つでフランスに修行に飛んで、地方の菓子店で雑用しながら 週末パリでスイーツ巡り。一番感動したお店のパティシエに、4年間手紙を書き続け 4年後についに採用となる。菓子作りの秘伝を学んでやろうと意気込んで行ったけど,なんとレシピや作り方は、学校で教えるものと全く同じだったというお話。使っている素材も、高級品ではなく普通の素材。じゃあ何で美味しかったのか? それは、普通の素材でも少しでも痛んでいるものは使わず教科書どおりの焼き方でも、少しでも焼き加減を間違えたらそれは捨ててしまう。 教科書どおりの当たり前のことを、すべて忠実に実行していたから。どのお店よりも、それができていたからだった、という。 フランスで、4年間憧れ続けてようやく働けるようになったパティシエのお店でみたものは、特別なものや目新しいものではなく、ただ、すべてにおいて「手を抜かない」という精神だったそう。
杉野英実さんは、1991年の菓子の世界コンクールでグランプリを受賞したほか、同大会で審査委員長を務めたこともある実力派。素材をバランスよく組み合わせることで、1つの菓子の中にさまざまな味わいや食感を表現した「大人が楽しめるデザート」を信条としている。
杉野英実さんは、1991年の菓子の世界コンクールでグランプリを受賞したほか、同大会で審査委員長を務めたこともある実力派。素材をバランスよく組み合わせることで、1つの菓子の中にさまざまな味わいや食感を表現した「大人が楽しめるデザート」を信条としている。
1953年 | 三重県に生まれる |
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1973年 | ホテル オークラのベーカリー部に入社 |
1979年 | 渡欧 スイスのホテル・レストラン、アルザスのホテル,パリでは「ジャン・ミエ」「モデュイ」「ペルティエ」と名店で3年間修行 |
1982年 | 帰国。名古屋「パティスリー・ポン・デザール」のシェフを務める。 |
1986年 | 代官山「ピエール・ドオール」のシェフとして活躍。1990年退社。 |
1991年 | お菓子のW杯「クープ・ド・モンド・ラ・パティスリー」で日本チームリーダーとして参加し、優勝に導く |
1992年 | 神戸・北野に『パティシエ イデミスギノ』を開店 |
2000年 | フランスの高品質なお菓子のお店の集まり「ルレ・デセール」東洋人初の会員 |
2001年 | 神戸のお店を閉店。その後、13か国を食べ歩く。 |
2002年 | 12月7日、東京・京橋に『HIDEMI SUGINO』を開店 |