1944年東京生まれ
米津風月堂を経てから1966年に渡仏しパリの「ポテル・エ・シャボー」他、パリを中心に数店で修行した後「ヒルトン・ホテル・ド・パリ」のシェフ・ド・パティシエになる。在仏中にさまざまな地方の伝統菓子や名物菓子を研究するために歩き回り検証した。約10年間のフランスでの仕事を務めたあと、帰国し「かわた菓子研究所」を設立、古典菓子のさらなる研究に励む。1981年に世田谷区等々力に「オーボンヴュータン」を開店。日本における技術の高いフランス菓子店として不動の地位を築いた。業界誌、専門誌におけるフランス菓子の技術理論も高い評価を受けている。
1944年 |
本郷坂下町で六人兄弟の五番目の子に生まれる。 |
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1964年 | 丸の内会館のレストランに就職。東京オリンピックの選手村レストランに出勤。その後、米津風月堂に転職。 |
1966年 | 渡仏。パリを中心に修行を開始。「ポテル・エ・ジャボ」をはじめ、数店で修行後、「ヒルトン・ホテル・ド・パリ」のシェフ・ド・パティシェを務める。 |
1974年 | 「ヒルトン・ホテル・ド・パリ」のシェフ・ド・パティシェを務める。 |
1976年 | 約10年間に及ぶフランスでの修行を終え帰国。埼玉県浦和に「かわた菓子研究所」設立。フランス菓子の造詣の深さを専門誌で展開するなど、古典菓子の研究に勤しむ。 |
1981年 | 世田谷区等々力に、「パティスリー・オー・ボン・ヴュー・タン」を開店。 |
2012年 | 現代の名工を受賞 |
・オーボンヴュータン [東京都・世田谷]